ESSEY

  

2010.1
    出会いはいつも 私を奮わせてくれる。
グシャグシャと泣いているわたしの話を 最後まで聞いてくれたひとや
一緒に旅行してくれたひと そこで案内してくれたひと
一緒に公園を走ってくれるひと。
おいしいご飯をいただきながら、夜遅くまでおしゃべりしたひとたち。
自分のお店を立ち上げたひと。
画家の絵や ミュージシャンのコンサート、
職場のスタッフ、利用者さん、
バンドのメンバー。
みんな素敵で、愛があって。関われて よかったと思う。
    出会ったぶんだけ、大切なものをもらった。
    今度は わたしだ。

  

夏が来ますね。
やわらかな緑がいっぱいの5月、6月が好きなので、
    しばらくこの季節がもうちょっと続いてほしいと思うのだけど、
そうもいかない。夏はやって来るのだね、やあ 大きな太陽と。
小さい頃、夏休みになると必ず、母の田舎である島根に遊びに行きました。
あまり舗装されていない頼りないアスファルトの道ぎりぎりに、
    自分よりだいぶん背の高い草が押しよせるように伸びている。
大きな階段みたいだと思った棚田を、全部でいくつあるか数えたり、
    年の近い親戚の子たちと蝉を追いかけ、追われて、丘の上からは海が見える。
学校で受ける体育の授業は大大大嫌いなのに、田舎に行くと1日駆け回っていた。
    広すぎる自然のなかでからだいっぱい楽しんだ。
島根で過ごした記憶は色鮮やかで、
    今でも夏になると思いだすことができる。

去年の8月、何年かぶりに、その島根に行くことになった。
これがまた、なかなかの理由で行くことになったのだけどね。
    話すと長くなるからここじゃやめておくね。
    
初めてかもしれない、母との2人旅である。
    岡山からの伯備線は数時間列車に乗ることになる。
あたりはたちまちもこもことした山に囲まれ、濃い緑の中を走る。

夜6時頃、松江駅に着きました。
    今回は母の実家までは行かず、ここ松江に滞在します。
母はいつの間にか島根弁に戻っている、
なんだかわたしもイントネーションがおかしくなりそうだ。
    
旅行最終日、松江を訪れたらどうしても行きたかった島根県立美術館に向かった。
よく晴れて暑い昼前。歩けば歩くほど、その土地に自分が馴染んでゆける気がする。

    汗をかきかき、美術館に着いて、ガラス張りのエントランスロビーに入った。宍道湖が一望できるのだ!
どこから、見て行こうかなと展示案内を読んだら、
    何と藤城清治さんの影絵展に出会うことができた。
ついに見れる!驚きと嬉しさで、ごめんなさい、その前に見て回った
    常設展の後半、あまりじっくり見れませんでした・・。

    小さい頃、テレビの上にたてかけてあったポストカード。
    夕暮れの空の下、少女と少年が向かい合う絵だったような。
多分 祖父の趣味だったと思うけれど、 これは、どんなお話なのだろう、どうして黒いのだろうと
    不思議な気持ちでいつも眺めていた。
それが最初に見た藤城さんの影絵だった。
その後も、どこかで必ず眼にする藤城さんの作品は、少しずつわたしの記憶にとどまっては揺らんで、
    そうやって今ここでみているわたしの中に懐かしい思い出としてだけでない、
    新しい出会いとしてきらきらと輝いていたのです。

    影絵を美しく見せるために、真っ暗にしているギャラリー。
    優しくて神秘的に浮きあがる1枚1枚の影絵に導かれるように近づいては先へ進む。
水面や鏡の反射を利用した作品は、ずっと見ていたくて足が止まります。
    この水面、墨汁を張っているんだって。影絵のうつりが良いそうです!
それにしても色が鮮やかなこと。
    明るい色がしきつめられて、小人や動物がとび跳ねたり笛をふいたりしてる。
楽しみ、喜びがパチパチはじけている。
わたしが特に好きなのは、藤城さんの夜の世界です。
星が出た空にゆれる木陰、静かなやさしい森の中、
    ぱあっと光に輝き大きく回る観覧車、夜の遊園地!
そうして朝がちかづいて、ゆっくり白み始める空。
    まるで昨日みた夢のような感覚につつまれます。
創作風景を見て、足が止まった。
    小さな小さな葉っぱを1枚1枚ていねいに、ただひたすら切りぬいてつくってゆく。
80歳を超えてなお、光と影の世界を追い求めて、作品に夢中になって向き合う。
    気の遠くなるような作業工程を経て、そうやって創られた影絵は 嬉しそうに広がってゆく。
    亡くなった猫、アラメへの深い深い愛情や、周りへの心づかい。
愛がいっぱいの世界だった。
    「ひとはみんなそれぞれ、1人ずつ小人を持っているのです」という藤城さんの言葉、
わたしの小人はどんなだろう?
    その子と一緒に木陰に佇んでいたような、うっとりした気持ちで外に出た。
    
屋外の岸公園で母の見守る中、ひとしきり遊びまわってから、松江駅を後にした。
子どもの頃 親しんだ島根は、大人になったわたしに新しい出会いをくれた。
そして、次また、母とこうやってゆっくり旅をするのはいつになるだろう。
てれくさいけれど、こんな時間がまた持てたら、と思った。
元気でいてね。


    
  

    それは寒い 冬の朝。 わたしは 神戸のむこうの塩屋駅に 初めて降りました。
    greenteaの「白い光」のジャケットを手掛けてくれたイラストレーター、Yokiちゃんのお誘いで、
    「しおさい」というイベントに行ってきました。
    フライヤーを見て、参加者のひとからの話を聞いて、
    おもしろそうだなと思ったのもあるけれど、行こうと決めたいちばんの理由は、
    sakanaさんが出演するということでした。
    
    ひんやりとした午前中。 塩屋駅の目の前はすぐ海。
    今は冬だけれど、あたたくなれば もっと 潮の香りがしてくるのだろうな。
    山側に出て少し歩いた。 道は細く、小さな商店街や、垣根の並ぶ景観は 静かでのんびりとしたものである。
    会場である 旧グッゲンハイム邸は、踏み切りを渡ってすぐの、高台に建っていた。
    およそ100年の歴史がある異人館で、普段から ライブや様々なイベントを開いているそうです。
    白壁に、わたしのすきなグリーンの窓が鮮やかに映える。そう、電車の窓からでも見えたね。
    初めて歩いた町並みと、見上げれば その立派な洋館に、
    自分のなかに新しい世界がゆっくり押し寄せてくるのを感じて くらくらする。
    
    門扉を通って中庭に入ると、すでにたくさんの人が出たり入ったりしていて、
    玄関には たくさんの靴が集まっていた。
    初めて来たけれど、これは きっと良いイベントだと思った。
    いろんなミュージシャンの方の演奏を聴いたり、手作りの雑貨を手にしたり、作家さんとお話をしたり、
    部屋の窓から 芝生を走る小さな子をながめたり、
    ゆっくり楽しんで、なぜか受付の手伝いまでしたりして・・。
    
    そうして、心待ちにしていたsakanaさんのステージが始まった。
    6時をまわって、窓の外は陽がおちかけ 深い夕闇がおりてきている。
    数年ぶりに見た2人は、ゆったりとした空気はそのままで、
    ボーカルのpocopenさんの歌声は色褪せることなく この目の前に存在していた。
    sakanaさんの音楽をこうやって聴けたこと、自分が大切にしたい音楽がそこにあることは こんなにも幸せなのだ。
    ただただ 嬉しくて、涙が落ちた。
    閉じこもらず、ごまかさず、自分たちの音楽に向き合う姿は 優しく強く ワン アンド オンリーであり、
    お2人の人柄もふくめて 素晴らしいライブだった。
    
    数年前に渡したgreenteaのCDを覚えていてくださり、それもほんとに嬉しかった。
    敬意を持つひとに 自分の音楽をほめてもらうのは、何とも 恐縮で・・
    ああ 心の底から嬉しい!
    緊張と喜びで、わたし とんでもない笑顔になっていただろうな・・・。
    
    イベントの最後は、お祭りらしく、バンドもお客さんも盛り上がって、
    それは 大きなガラス窓が 曇ってしまうほど!
    ええ わたしも、飛び跳ねましたよ。こういう時、
    知り合いがいないと完全にお客になれるから いいですよね。たまにはね。
    
    外は星空 海は真っ黒。
    コートを着たまま 汗をかいたから冷えそうだ。
    東に向かう電車にゆられて、 数日後はわたしも 良いライブをしよう。
    
  

2009.2

ようやく、ようやくこのページを更新します。
年号を見るとおよそ1年ぶり。ああごめんなさい。
ブログを作ってから、しばらくこちらは長いお休みに入っていました。

そのあいだ、今まで書き溜めたものを やっと広げられるタイミングがやってきたのだと思います。
    
    歌詞をつくり、それを歌うことを続けてきて、
    わたしのなかで、言葉をあつかうということは とても難しくて危険で、だからこそ慎重に選ばなければ と
    今でも思うのですが、ある日 ある音楽がきっかけで、また 誰かの言葉がきっかけで、
    そうか、そこまで考えすぎなくても良いのか、と ふっきれたことがありました。
    考え過ぎていたというより、自分の言葉に単に臆病になっていただけなのだと。
    わたしの会話は ただでさえ舌足らずなのだから(笑)、文章も無理する必要はない。
    臆せずに、自分の言葉で伝えよう。
    
    そんなわけで、もうほんとに、眠くなるようなペースですが、
    けれども迷わず 綴ってゆきますね。
    
  

2008.04.30

明日から5月です。
    
はなやかで ささやかな やっと訪れたと思った春は、
    いつのまにか変化して、眼に入り込んだのは そよぐやわらかな緑!
暑くなる前に 少しのあいだ見せてくれる、季節の顔色を もっとのぞきに出かけたくなる。
    
あいかわらず、ゆっくりの私は、この4月で誕生日を迎えました。
    「4月生まれって、いいね」と言ってくださったひとがいました。
    ばたばたと忙しく迎えた 新しい年齢、もちろん 準備ができるわけでもないのだけれど・・・
    それでも、そう言ってもらった瞬間、純粋に嬉しいと思った。
    
すこしでも、磨かれますように。
    
  

2008年 1月

あけましておめでとう!

時間は進みますね。
まだまだ、驚くことはいっぱいあるはず!
アンテナを立てて、探しに行かなければ。

2008年も、よろしくお願いします。

  
12月

この1年も たくさんのひとと出会えて、
いろんなことができました。
2007年の最初に、わたしはまわりの環境が少しかわりそうだと
書いていましたが、確かにかわりました。それはきっと、
ほんの些細な変化であり、特に大きなことではないかもしれません。
けれども、それはわたしにとって 重要で大切で、
なくてはならない、素晴らしい1年にしてくれました。
その確信を、まるめてひろげて力にかえて、
来年も頑張ります。

今年もみなさん、ありがとう。

  
10月

熱い紅茶をのむと 寒い季節に近づける気がします。

布や毛布にくるまれる季節
鼻も耳も唇も 手も足も 冷たくなる季節

そのようなときにどこかで
あたたかいものを飲むのがすきである。

今日も 時間のすきまを見つけて、
喫茶店に入れました。こっそりと座った木の椅子でした。

どこからか 金木犀の蜜のような 甘い香りがしてきます
何度目かの秋がきたのです

断片的に 記憶が 香りとともに
あらわれては消えて
ぼんやり遠くを見てしまう
どこかに だれかに 思いを馳せるように

そしてそのつぎは 寒い季節が やってくるのです。

  

9月22日

母に教えてもらって、堀 文子さんの絵を見に行った。

「死ぬまで、驚いていたい」と話す彼女の描く作品は、
優しい色にあふれていた。

発見 気付き その喜びは呼吸しており
音楽が聞こえてくるようだ

目の前の木々に眼をやり、少し遠くを見る。
やがて山が見え、鳥が飛んでいるのに気付き、
そして頭の上の揺れる枝にまた眼をやる

そうやって 彼女と一緒に景色を愛でているようだ。

年齢を重ねるごとに色は鮮やかになり
確信に近づく。
素晴らしいと思う。

堀さんの絵、堀さんの生き方にふれることができてよかった。

  

8月31日

今日はよく風が吹いていました。
その風のなかに鼻を入れて、くうっと吸いこむと、
かすかに 次の季節の匂いがします。

暑いなあ暑いなあと思いながら、ばたばたと
走りぬけていったような夏でした。

毎日、むくむくした大きな入道雲を横目で見ながら、
蝉の声は重なって背中を押してくる その轟音に肩がすくむ。
わたしは ちょっとずつちょっとずつ 太陽の光をもらって
前よりちょっとだけ 茶色くなった気がする 夏が残したものである。

新しい仕事も、始めてもう4ヶ月たちました。
いろんなことを教えてもらって、たくさん学ばせてもらえている。
ここにきてよかったと思う。
いい顔で 笑えているだろうか いい顔で笑っていたいと思う
みんなのように。

  

7月

大きな台風がすぎさった翌朝、重い重い 灰色の空が やっと開けた!

雨がつづいた日は、どうも 眼が見えにくかった。
まわりがぼやけるようで そのぶん雨音は 耳によく入ってきた。
大好きな長靴もはけるから、雨の季節も嫌いではないのだけれど。

そしてほんの数時間だったけれど、
何日かぶりに見た 青い色の空だった。

遠くまで見わたせるようである
掴みづらかったものたちは はっきりとして
わたしの眼に映りこんでくる
木々 山並み
あのように緑が 濃かっただろうか

周りはすっかり 夏の景色に顔色を変えていた
うつくしいと思った


暑い夏がきます。

  

湿気をふくんだ空気が、首にぺたっとはりつくようで
ちょっとなあ・・と思っていたら 雨がふったりやんだり。
生命力の強いアジサイに、いつのまにか すうーっと引き寄せられます。

ひさしぶりのお休みだったので、今日は写真の整理をしたりして
1日 家ですごしました。 また お尻が重くなってしまうなあ・・

晩になって、北の窓から良い風が入ります。
少し、眼を休ませてボンヤリすると、いろんな音も聞こえてきます。
近所に住んでいる犬が鳴いている声、坂の下の道路を走るバイク、
聴こえてくる音をたどって、どんどん遠くへ、
そして 駅までかなり距離があるはずなのに、かすかに 列車が走るのもわかります。
そうやっているうちに 心が落ち着いてゆきます。

お風呂に入った時など、やってみるとおもしろいのだけど、
薄暗いなかで(怖いひとはキャンドルを灯すといいかも・・)過ごしてみると、
いつもと同じ時間帯なのにえらく静かに感じる。
人間が情報を体に取り入れる手段は、その6割が視覚だ というのを聞いたことがある。
その視覚をさえぎる、というか少しひっこめてやると、他の器官が敏感になるのだろうか。
何だか耳の穴がぽっかり大きくなったようで、
周りの音の聞こえ方が変わってゆく。
ふだん自分がいかに視覚に頼っているかがわかる。

以前、「タッチ・ザ・サウンド」というドキュメンタリー映画を見た。
エヴリン・グレニ―という聴覚障害のあるパーカッショニストが、
様々な場所を訪れて、いろんな人とセッションしながら、
やがて 音を聴く、音にふれるとはどういうことかを教えてくれるのだった。
楽器によって鳴らされる音だけではなく、
鳥のさえずり、木々のざわめき、人の足音、声、風 せせらぎ
響き 沈黙さえも彼女はしっかりと聞きとるのである。

この映画を見ながら、私は自分が忘れかけていたことを思い出した。
地球上にある 全ての音に耳をかたむけるということ。
私は一体 どれだけの音を受け止められているのだろう。
そして どれだけの音を聞き流してしまっているのだろう。
現代、どうしても様々な音があふれているぶん、
自分が必要とするものしか聞き分けないようになっているのかもしれない。

もっと体を開いて、感覚を研ぎ澄ませば、
やがて聴こえてくる音のひとつひとつはきっと
自分を自由にして いろんなことを教えてくれることだろう。

  

5月7日

4月のトリステレオのライブに来てくれたみなさん、ありがとう。

姫路で 空も霞むような咲きわたる桜をしっかり体のなかに入れて、
blogにもありますが、レコーディングに入ったとたん、
あっという間に5月になっていました。

夏になるまでの短い季節である5月、6月。
やわらかい若葉や風のそよぐのを見ると、
自分もその中に溶け入りたくて、軽い素材の服を着たくなります。
なかなか、買い物にも出掛ける時間がないのですが・・

先日、空いた時間を使って 数ヶ月ぶりに地元のカフェに行きました。
また この店に来れた。
そういえば音楽のほかにも、新しい仕事を始めて1ヶ月たちます。

どうも時間をもてあます日が続いたことがあって、そんな時は
どこにいても、何だか手放しで楽しめなくて、
不安になったり、何かに申し訳なくなったり、ぽかっと空いた穴が
なかなか埋まらない感じがいつも心に噛みついていた。
長いブランクは自分にとってとても重要な充電期間になることはあるけれど、
その時は 時間をうまく使えていない気がした。

レコーディングと新しい仕事が始まってから、時間は決まるし、
一気に暇が少なくなって、何倍も忙しくなった。

それなのに、それが良い。
充実しているというのはきっと 今のことを言うのかもしれない。
きっちりとつまった予定と予定との間に ふっと空いた小さな時間。
そこに入って、ほんのちょっとの間だけども好きなことをする。
その喜びの大きいこと。
時間て、不思議なものだなと思う。
特に 私はゆっくりしすぎてしまうことが多いので、
少し忙しいくらいのほうが良いみたいです・・
そうやって手に入れた 少しの自由な時間は、
とても貴重で大切で楽しくて、
うっとりするくらい愛しいものなのです。


  

3月26日

3/23、24、25と続いたライブに来てくれたみなさん、ありがとう。

私は、3日間が終わり、その翌日の昼下がり、
やっと ボーっとしました。
公園の丘のうえに のそのそ登って 座って、
あいかわらずのゆっくりしたスピードで、
ライブのことを思い出してゆきました。
きっと ほかの人よりも少し 損をしているかもしれないな、
と思うほどゆっくりしたスピードです・・


今回、Breath Markさんとご一緒できたことは
私にとってとても刺激になりました。

3日間 彼の歌を聴かせてもらい、もちろん
3日ともパフォーマンスは違うのだけど、
どの日も どの曲も 、聴くたびに ずっと、
このひとは 腹の底から 魂でうたっているひとなのだと
強く強く感じました。
そんな二羽さんから飛び出したり こぼれおちたりする声や歌詞は
強烈な力を持っていて、私は
その聴こえてくるものを追いかけたくなって
じりじりと聴き入ってしまうのでした。
本気で歌うということ。

奮い立たせられるような、良い時間をすごせたライブでした。

出演者の皆様、メンバー、スタッフ、お客様、
3日間お疲れ様でした。

春がきます。

  

新しい一年の始まり。

昨年も、皆さん たくさんありがとうございました。
2007年、今年もよろしくお願いします。


どんな出会いが!どんな出来事が!
緊張とわくわくの気持ちがいったりきたり。

私は まわりの環境が少し かわりそうです。
頑張るぞ。

greenteaのこれから、どうぞ応援してください。

  

ありがとう、cafe detaj。

どんな場所よりも、とても大切な場所として演奏しました。
大事なことを、いっぱい教えてもらいました。

cafe detajから始まった出会い、思い、
ほんとにたくさん。

これからどうなってゆくかはわからないけど、
greenteaは待っています。


  

11月28日

11月27日、梅田シャングリラ ワンマンライブ。


夕方がちかづくにつれ、雨はすこしずつ あがってゆきました。
初めて立つ場所、シャングリラ。
良い夜になりますように。

照明や音響のリハーサルをして、
ゆっくり緊張がやってきます。

今回の衣装はキャバネから!
デタイユのクールな装いとはまたちがう、
やさしく不思議な雰囲気が、新鮮です。
衣服って とても重要なものですね。
素晴らしいものを身にまとうほど、
音楽に集中できるのです。

舞台に出て行った私の眼にうつったのは、
たくさんのひとたち。
気持ちが高ぶってゆく なのに、
どこかで安心できるのは なぜだろう。

ひさしぶりのライブハウスは、
曲がいろんな色に 光に つつまれて
思い思いに表情をもって
私たちgreenteaの目の前にいるひとたちに
届いてゆくのです
そして きてくれたみなさんがいることで
わたしたちは何とやりよく 心から ただひたすらに
楽しめました。

キャバネの羽野さん、ふゆちゃん、
メイクしてくれた西村さん始めレッドペッパーさん、
撮影してくれた谷口くんたち、
良い音楽を聞かせてくれたDJ 榎本さん、工藤くん、
シャングリラのスタッフのみなさん、
初めてライブをみてくれるひとも
久しぶりだったひとも いつも足を運んでくれるひとも
みんなありがとう!

今回は、間にインストを入れての1ステージ。
メンバー皆、体力と精神力をえらく消費したようです(笑)。
ゆっくり休んでね!
次は12/29のデタイユ、一緒に楽しみましょう!

  

10月9日

なんともきれいな 晴れた空。

私はまたひとつ 素敵な場所に行けました。

訪れたのは、淡路島にある アート山美術館。
JR舞子駅から高速バスで20分ほどかけて淡路島へ。
そこから少し歩き、なかなか急な坂をあがり、
「けっこうな坂道だねえ・・」と話をしてるうちに、
辿り着きました。

淡路島出身の洋画家、大石可久也さん、証子さんが
ボランティアの方々と一緒にてがけた 芸術空間。
そこには、淡路島の自然とともにある 優しい世界がそっと生きていました。

ひとづてに聞いたこの場所。
教えてくれた子が、「あまり教えたくない場所なんですけどね・・」と
言っていたのがわかる。
私も、秘密にしておきたいと思ったもの!
それくらい、たちまちアート山に心をつかまれてしまった。

不思議であたたかな作品の数々、
それを包み込む木々や空に、
溶け入ってしまいそうになる。
風にのって くるくると天へ天へ 舞い上がる鳶
関係ないのだろう
私がここから かれらをみつめていることも
だから美しい

私はいまここにいて
海は青くて ああ遠くに 船がうかんでいる
10月の風と11時の光は あまりにやさしいので
なかなか つかまえてはなさない

汗をかいた背中がひんやりつめたくなって
緑に眼をこらす

ぽつりぽつり
どんどん言葉がシンプルになる

眼から 耳から 鼻から肌から
自分のからだの使えるところをすべてつかってでも
入ってくるものを逃がしたくない と思うのは
あつかましいかしら

この場所に出会えてよかった。

充電できた、またちょっと 前に進めそうだ。

  

9/30のデタイユに来てくれたみなさんありがとう!

6人揃ってのライブは、およそ二ヶ月ぶりだったのだけど、
「やっぱりフルメンバーはいいなあ」と思った。

メンバーそれぞれの音に動かされ 包まれ、
そして私は前に出る。

ライブの前も後も 色々あるけれど
パーン と曲が始まってしまえば,
こんなにしあわせで嬉しいことはない。

デタイユはやっぱりあたたかく、
そして 「さあ やってくれよ」と いわんばかりの
良い緊張感をくれる。

ひさしぶりのgreenteaのライブ、
とても たのしかった。

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